もうあの頃には戻れないと思う事

先週、ガンダム SEED FREEDOMを観た。

誰にも話せないでいるその時の気持ちをここに。

(※映画の内容に対して否定的な発言を含みます。水を差されたくない方にはお勧めしません。)

 

少しだけ前提の話

映画は4人で観に行った。

私自身は30を少し過ぎた女で、今は別の趣味を見つけてアニメやゲームからは少し遠ざかっている。同行者は大学の時に知り合った3人。子育て中であったり、住んでいる地域が離れていたりと環境が変わってしまったので、実際に集まるのは本当に久しぶりだった。

当時のこと

先にこれだけは書いておくと、ガンダムSEEDシリーズには20年前に大変な熱量で没頭していた。地上波の放映が終わってもVHSで繰り返し繰り返しアニメを鑑賞し、週末に親に連れて行ってもらったTSUTAYAではCDを探しMDに落として何度も何度も聴いた。お年玉で買ったPS2の連合vsZ.A.F.T.はテスト前でも隠れてやり込んだ。同級生達が部活や恋愛を謳歌するのを横目に、休み時間も放課後も頭の中はキャラクター達の妄想で一杯だった。彼らは私の青春の1ページどころか、何割もを占める愛する存在だった。

本編の感想

青春を共にした作品が20年ぶりに映画館で観られる。それだけで友人達と沸き立ち、どうにか4人で予定を合わせた。過去作品の劇場版で言えば、最近には某バスケアニメや某妖怪アニメの映画の例もある。あの二つは純粋に面白かった。きっと素晴らしい日になるだろうと期待を持っていた。持ち過ぎたのかもしれない。

いざ、本編が始まった。巨大なスクリーンの中で動くMSや艦隊の動きは美しく、当時を懐かしむような気持ちでいっぱいになる。…が。

こんなに各キャラの行動原理が恋愛(というよりも性欲に見えた)中心の作品だったっけ、と疑問が浮かび始める。その割にはアグネス(おそらくは地上波版のフレイの立ち位置のキャラ)のお色気シーンはない。何故。シュラと寝ないの?

そして無駄に洋服が破れるマリュー。お姫様抱っこで救出。最後のシーンでムゥに抱きつき足を絡めてキスするシーンもちょっと観ていられなかった。バリキャリの女性が職場でそんな事を…?更にシリアスな場面で出てくるカガリの発情顔。ボーイッシュな女性が照れる可愛さにはもっと描き方があったのでは。それを飛び越えた男の妄想。差し込まれる位置ももっと前半だったら抵抗なく観られたかもしれない。そしてステラの「愛」は描かれる事もない。一番辛かったのはラクスのモビルスーツ。胸揺れも尻の強調も不快感しかなかった。もはや製作側の性欲を突き付けられた気がして動悸がしてきた。

これはこう云うものだから、とアニメを見慣れたファンには笑われる感覚なのかもしれない。でも、地上波版ではもう少し裸のキャラクターの見せ方は違った気がするし、マリューとムゥ(そしてバルトフェルドとアイシャ)には大人の恋愛としての見せ方があったし、「女」として戦場で何でも利用して地位を確立しようとするフレイにも意味のある性描写があった。

制作者の性欲だけを突き付ける以外にも「愛」の描き方があるのでは…と思ってしまった。

別に、アニメやドラマの性的なシーンには今でも特に抵抗感はない。ただただもう少し意味が欲しかった。

戦争の描き方にも疑問があった。この劇場作品の脚本がいつ完成していたのかは知らないけれど、今の世界情勢でこの脚本なのか…とがっかりしてしまった。劇中で何か重大な事件をきっかけに均衡が崩れテロリストたる重要人物が追い込まれてスイッチを押すならまだしも、自作自演で何度も撃たれる核兵器。その挙句に気軽に撃たれるレクイエム。それを目撃して泣き崩れるのはラクス一人。地上波版であんなにもショッキングなシーンとして描かれた虐殺シーンがこんなに軽く…? シンのPTSDにももっと違う描き方があったのではないかと思ってしまった。サラッと出て来たデストロイにもお粗末なステラの描写にも、先の大戦での犠牲としての意味を持たせる事だって出来たのでは。

勿論良かった事もあった。何よりも20年越しに描かれた各キャラのその後を劇場で観られた事が単純に嬉しかった。懐かしいMSや当時の挿入歌が次々に登場することも、ニコルやレイ等の作品中で没したキャラまで出て来ることも、待ち続けたファンへの制作陣からのプレゼントだと思っている。ラクスやカガリの例の場面もサービスシーンとして楽しんで欲しかったんだろうという意図は分かってる。

鑑賞後の話

観終わった後、友人達とは個室の居酒屋で食事をした。二人は絶賛の嵐で興奮気味に感想を語っていて、口下手な私は相槌を打つことしか出来ず、もう一人の器用な友人は二人の感想を肯定しつつ私とはまた違った点の不満を述べて盛り上がっていた。映画の話が一旦終わり、その後に最近楽しんだ作品をお互い勧め合う時間になって、ようやく肩の力が抜けた。そこでようやく自分が楽しめなかったことに気が付いた。笑顔ではしゃぐ二人が羨ましかった。

話は逸れてしまうけれど、「水星の魔女」は面白かった。話数は以前のガンダムシリーズと比べれば少ない中でも人物それぞれの心情が丁寧に描かれていて、争いにも人が亡くなる描写にも意味があった。作中では様々なタイプの人が活躍して、女性は支援に回ったり男に恋するだけの存在ではなく主戦力になる。自分の「女」としての魅力を十二分に理解してそれを武器にするキャラがゲーミング告解室でシスターをやってもいいし後日談でちゃっかり重要ポストに就職してもいい。同性同士の「愛」が当たり前のものとして存在するのもいい。

あの作品にも足りない面は沢山あったけれど、そこを経た筈のサンライズは「令和に帰ってきたガンダムSEED」をもっと違う形で描けた可能性もあったのではないかと感じてしまった。

楽しむ友人達に水を差したくない気持ち(私は盛り下がる言い方しか出来ないのが分かっている)だけに当日は話せず、SNSでも絶賛する感想を多く目にしてから自分の率直な感想を書く勇気が出ず、でも一人で抱えていることも出来ないのでここに吐き出します。多分そのうち消す。